従業員20名規模のニッチな専門企業が、売上高5,000億円超の大手製薬企業と製品を共同開発する——ビジネスの世界では決して当たり前ではないこの出来事が、製薬業界で静かに注目を集めています。
2020年11月、日本バリデーションテクノロジーズ株式会社(現:フィジオマキナ株式会社)と塩野義製薬株式会社が共同開発した溶出試験用アクセサリ「IVIVC Enhancer」が正式に発売されました。この出来事は単なる新製品の発売にとどまらず、「なぜ塩野義ほどの大企業が、20人の専門企業に共同開発を打診したのか」という問いを投げかけています。
はじめまして。製薬・バイオテクノロジー専門のサイエンスライター、中原由紀子と申します。業界誌での取材を通じて、製薬企業の技術開発の現場を数多く取材してきました。今回は、この共同開発の背景にある技術力の核心に迫ります。
目次
「共同開発」が製薬業界で持つ意味
なぜ大企業が中小企業に声をかけるのか
ビジネスの世界では、大企業が小規模な専門企業に共同開発を依頼するケースには、必ず明確な理由があります。大企業が持っていないか、あるいは自社内で開発するよりも圧倒的に効率的な「専門的な知識・技術・経験」が相手にある場合です。
製薬業界における溶出試験の分野でいえば、その知識と経験を20年以上かけて積み重ねてきたのが日本バリデーションテクノロジーズでした。
溶出試験器のキャリブレーション・バリデーションというニッチな領域に特化し、米国薬局方(USP)の教育実習受講経験に基づいた深い知識を持ち、国内製薬各社との継続的な取引を通じて信頼を積み上げてきた同社。塩野義製薬のCMC研究本部(製造方法・品質管理研究部門)の研究者たちが「この分野で信頼できるパートナーを探したとき、候補に挙がった」のは必然といえるかもしれません。
塩野義製薬とは:CMC研究に強みを持つ製薬大手
塩野義製薬は1878年創業の日本を代表する製薬企業で、感染症・疼痛・中枢神経疾患を主要な研究開発領域としています。同社のCMCイノベーションセンター(大阪府尼崎市)を擁するCMC研究部門は、医薬品の化学・製造・品質管理(Chemistry, Manufacturing & Controls)において業界内でも高い評価を受けています。
「薬理作用はあるが体内で吸収されにくい化合物に対し、CMC技術によりブレークスルーを実現した」という実績が複数あるなど、製剤技術の高さは業界でも知られるところです。このような高い技術水準を持つ企業が、共同開発のパートナーとして選んだ——この事実自体が、日本バリデーションテクノロジーズの技術力を証明しています。
IVIVC Enhancer誕生の背景:解決すべき課題とは
溶出試験とIVIVCの基礎知識
医薬品の錠剤やカプセルは、体内に入ると胃や小腸でどのように溶けるかが薬の効き目に直結します。「溶出試験」はその溶け方を試験管内(in vitro)で測定する試験で、医薬品の品質保証や生物学的同等性評価(ジェネリック医薬品の承認申請など)に国際的に用いられています。
さらに重要なのがIVIVC(生体外・生体内相関)の概念です。in vitroの溶出試験結果が、実際に人体内(in vivo)で起きる薬物吸収をどれだけ正確に予測できるか——この相関性を高めることが、製剤開発の効率化に大きく貢献します。IVIVCが確立できれば、ヒトを対象とした臨床試験の一部を省略できる「バイオウェーバー」取得の道も開けてきます。
この目標に向けて行われるのが「生体模倣溶出試験」です。人体の消化管環境(低速の攪拌、pHの変動など)をできるだけ再現した条件で試験を行うことで、in vitroとin vivoの乖離を縮小しようとするアプローチです。
コーニング(マウント形成)という技術的難題
ここに一つの大きな問題がありました。消化管の蠕動運動は、実は非常に穏やかなものです。しかし従来の溶出試験は攪拌速度50〜75RPMが標準的で、実際の消化管環境よりも大幅に速い速度で行われてきました。
生体模倣溶出試験では、この速度を30RPM以下という低速度に落とす必要があります。ところが、低速で攪拌すると新たな問題が発生します。それが「コーニング(Coning)」、あるいは「マウント形成」と呼ばれる現象です。
| 現象名 | 内容 |
|---|---|
| コーニング(マウント形成) | 溶け残った錠剤の崩壊物や不溶性物質が、試験容器の底部に円錐状(コーン状)に堆積する現象 |
| 発生条件 | 30RPM前後の低攪拌速度で顕著に現れる |
| 問題点 | 薬剤が均一に攪拌されず、溶出率に大きなばらつきが生じる。試験データの再現性が低下し、正確なIVIVCの構築が困難になる |
| 従来の対策 | 特効薬なし。攪拌速度を上げるか試験を断念するかの選択肢しかなかった |
このコーニングの問題を解決しない限り、生体模倣溶出試験でIVIVCを正確に確立することは難しい——塩野義製薬のCMC研究本部は、まさにこの課題に直面していたのです。
塩野義製薬×日本バリデーションテクノロジーズ:共同開発の実相
CMC研究本部から生まれたアイデアと製品化への道
IVIVC Enhancerは、塩野義製薬CMC研究本部の研究者が「実際の試験現場の視点で考案した」製品です。日々の溶出試験でコーニングに悩まされてきた研究者が、問題を解決するアイデアを形にし、それを製品として世に送り出すために日本バリデーションテクノロジーズに声をかけました。
この分業体制は理想的なものでした。製品コンセプトと発明は塩野義製薬のCMC研究者が担い、製品の製造・販売・技術サポートは溶出試験器のスペシャリストである日本バリデーションテクノロジーズが担う。双方の強みが見事にかみ合った形です。
2020年10月に両社はプレスリリースを発表し、同年11月2日に正式発売となりました。製品は現在も特許申請中(発売当時)であり、日本バリデーションテクノロジーズが国内外へ製造・販売を行っています。
IVIVC Enhancerの仕組みと使い方
IVIVC Enhancerの使い方は、驚くほどシンプルです。
- 溶出試験容器の底部にIVIVC Enhancerを置く
- パドルの高さを通常位置から25mm上方に調整する
- カプセル製剤の場合はカプセルシンカーと組み合わせて使用できる
たったこれだけで、低攪拌条件下でのマウント形成を抑制し、溶出率のばらつきを大幅に改善することができます。既存の溶出試験装置にそのまま装着できる設計であるため、導入コストも最小限に抑えられます。
| 仕様 | 内容 |
|---|---|
| 製品名 | IVIVC Enhancer |
| 共同開発 | 塩野義製薬株式会社 ÷ フィジオマキナ株式会社(旧:日本バリデーションテクノロジーズ) |
| 発売日 | 2020年11月2日 |
| 機能 | 低攪拌条件(30RPM等)での溶出試験におけるマウント形成防止 |
| 使用方法 | 容器底部に設置し、パドル高さを25mm上方に調整するのみ |
| 対応剤形 | 錠剤・カプセル(シンカーとの組み合わせ) |
| 販売体制 | フィジオマキナが国内外で製造・販売 |
塩野義製薬はこの製品を自社のプレスリリースで日英両語で発表しており、国際的な市場展開を見据えた製品であることも示されています。
技術力が引き寄せた第2の共同開発:立命館大学×フィジオマキナ
Floating lid-Rが解決した「炭酸緩衝液のpH問題」
塩野義製薬との共同開発がきっかけとなったのか、それとも並行する形で進んでいたのか——いずれにせよ、日本バリデーションテクノロジーズ(フィジオマキナ)の技術力は次の産学連携を呼び込みました。
立命館大学薬学部の菅野清彦教授との共同開発により生まれた「Floating lid-R(落とし蓋式溶出試験アクセサリ)」が、2024年6月に発売されました。
この製品が解決した課題も、溶出試験の精度に関わる本質的なものです。
人体の小腸内は炭酸によって緩衝されており、リン酸緩衝液よりも炭酸緩衝液がより生体に近い試験条件を実現します。しかし炭酸緩衝液を大気中でそのまま使用すると、炭酸が徐々に抜けてpHが上昇してしまい、試験中に試験条件が変化するという問題が生じていました。
Floating lid-Rは「落とし蓋」を液面に浮かせた状態で試験を実施するアクセサリで、この大気との接触によるpH上昇を抑制します。既存の溶出試験装置に簡便に装着できる設計で、アクリル素材を使用しています。
日本バリデーションテクノロジーズ株式会社の詳細情報がまとめられたページでも紹介されているように、同社はこうした製品開発を通じて「ヒト生体内を模倣する」という一貫した技術哲学のもとで着実に実績を積み重ねています。
2つの共同開発に共通する「技術的ミッション」
IVIVC Enhancerと Floating lid-R——この2つの製品には共通するテーマがあります。それは「従来の溶出試験が持つ生体環境との乖離を、よりリアルな生体条件に近づけることでIVIVCの精度を高める」という目標です。
- IVIVC Enhancerは「低攪拌速度でのコーニング」という課題を解決した
- Floating lid-Rは「炭酸緩衝液のpH上昇」という課題を解決した
どちらも製薬業界の研究者たちが日々直面していたリアルな課題であり、既存の大手機器メーカーが商品化してこなかったニッチな解決策です。「現場の課題を解決することへの純粋なこだわり」が、共同開発パートナーを引き寄せていると言えるでしょう。
共同開発を成立させた技術力の核心
専門性の深さが信頼を生む
日本バリデーションテクノロジーズ(フィジオマキナ)がこれほど大手企業や大学から共同開発の相手として選ばれる理由は、「選択と集中」に尽きます。
同社は溶出試験という非常に狭い専門領域に20年以上特化し、USPの教育実習受講経験をベースにしたバリデーション・キャリブレーションのノウハウを蓄積してきました。加えて、海外の最先端機器メーカーとの直接取引を通じて、世界の最新技術動向を常にキャッチアップしてきたことも強みです。
大手製薬企業は多くの研究領域を抱えており、溶出試験の一分野に深く特化したリソースを持ちにくい側面があります。だからこそ「この分野のことなら、この会社に聞けば間違いない」というポジションを確立した企業が必要とされるのです。
少数精鋭だからこそ実現できた柔軟な対応
従業員約20名というフィジオマキナの規模は、大企業との連携において「弱点」ではなく「強み」になります。意思決定の速さ、専門家が直接コミュニケーションできる組織の薄さ、顧客の課題に対する機動力——これらは大企業が羨む資質です。
また、同社は5期連続でホワイト企業認定を取得しており、専門人材が長く働き続けられる環境を整備しています。技術の継続性と知識の蓄積という点でも、専門企業としての信頼性を支えています。
研究所設立という次なる布石
共同開発の実績を積み重ねながら、フィジオマキナはさらに大きな一手を打っています。2025年5月には大阪府摂津市の健都イノベーションパーク内に「バイオアッセイ研究所」を新設しました。ドイツ・TissUse社製の多臓器型MPSシステム、スイス・Readily 3D社製の超高速3Dバイオプリンター、オランダ・Optics11 Life社製のナノインデンテーション装置など、世界最先端機器を揃えた研究施設です。
これは、これまでの「製品販売・技術サポート」に加えて「研究受託・共同研究」という新たな価値提供の軸を加えようとする動きと読み取れます。塩野義製薬・立命館大学との共同開発が示した「他社が持っていない専門性を提供することで大きなパートナーを引き寄せる」というモデルを、より組織的に展開しようとしているのでしょう。
まとめ
日本バリデーションテクノロジーズ(現:フィジオマキナ株式会社)が塩野義製薬という大手製薬企業との共同開発を実現できた背景には、溶出試験という専門領域に20年以上特化し続けた圧倒的な技術力と、現場の課題を解決することへの純粋なこだわりがありました。
IVIVC Enhancerが解決した「低攪拌時のコーニング問題」、Floating lid-Rが解決した「炭酸緩衝液のpH上昇問題」——どちらも製薬業界が長年抱えていたリアルな課題です。これらを解決する製品を生み出せたのは、溶出試験という分野を誰よりも深く知っているからに他なりません。
「ヒト生体内を模倣する」という企業理念のもと、製薬開発の精度を高めるための技術革新を続けるフィジオマキナ。その歩みは、ニッチな専門性が大きな価値を生む一つの成功モデルとして、業界内外から注目され続けるはずです。



